重要文化財「弁慶の引摺り鐘」

TEXT
READER

幾度となく災厄を蒙ってきた三井寺の歴史を象徴する、奈良時代制作・重要文化財の梵鐘を安置しています。この鐘は、武蔵坊弁慶が三井寺から奪って比叡山へと引き摺り上げたという有名な説話で知られ、一般に「弁慶の引摺り鐘」と呼ばれています。田原藤太秀郷の「大ムカデ退治」などの伝説にも彩られた不思議な霊鐘です。
鎌倉時代後期の『園城寺境内古図』にも現在地と同じ金堂の西側に「鐘堂」が描かれており、現在の建物は、古鐘堂の古材を用いて昭和5年(1930)に大改築したものです。

“奈良時代”

平城京すなわち奈良に都した時代。元明・元正・聖武・孝謙・淳仁・称徳・光仁の7代七十余年間(710〜784)。美術史では白鳳時代を奈良時代前期、この時代を後期として、天平時代ともいう。奈良朝。

“梵鐘”

梵鐘

中国の古楽器の鐘に対して、寺院で用いるつりがねの称。多く鐘楼に吊り、撞木で打ち鳴らす。

“武蔵坊弁慶”

鎌倉初期の僧。幼名は鬼若丸、熊野の別当の子という。武蔵坊と号して比叡山西塔にいたが、源義経に仕えて武名をあげ、義経の没落に際しても忠実に随行、安宅の関に危難を免れさせ、後に衣川の戦に討死したとして、「義経記」や謡曲・幸若舞曲などに伝説化されている。( 〜1189)

“比叡山”

京都市北東方、京都府・滋賀県の境にそびえる山。古来、王城鎮護の霊山として有名。山嶺に2高所があり、東を大比叡または大岳(848メートル)、西を四明岳(839メートル)という。東の中腹に天台宗の総本山延暦寺がある。

“田原藤太秀郷”

平安中期の下野の豪族。左大臣魚名の子孫といわれる。下野掾・押領使。天慶3年(940)平将門の乱を平らげ、功によって下野守。弓術に秀で、三上山の百足退治などの伝説が多い。生没年未詳。

“鎌倉時代”

源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、元弘3年(1333)北条高時の滅亡に至るまで約150年間の称。

“園城寺境内古図”

園城寺境内古図

「北院」・「中院」・「南院」・「三別所」・「如意寺」を描いた五幅対の境内絵図。 「寺門伝記補録」等を勘案して、鎌倉末期の寺観を描いたことが知られ、 中世三井寺の伽藍配置を示す貴重な資料である。重要文化財 鎌倉時代 十四世紀

“鐘堂”

鐘堂

かねつきどう。鐘楼。

近代
桁行二間 梁間一間 一重裳階付 切妻造 桟瓦葺