中世「食堂」の古式を伝える

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本尊に清凉寺式釈迦如来像をまつります。須弥壇室町時代のもので、上下に刳型や蓮弁を刻み、中央の格狭間には精巧な唐草文様の透彫が入っています。文政13年(1830)に唐破風の向拝を増築し、現在では「釈迦堂」と呼ばれています。
御所の清涼殿を三井寺に移築したものと伝えられ、檜皮葺の屋根に半繁垂木の簡素な住宅風建築です。多くの僧や衆徒を擁した中世の大寺院にあった「食堂」の古式を今日に伝えています。

“清凉寺式釈迦如来像”

清凉寺式釈迦如来像

“須弥壇”

須弥壇

“室町時代”

足利氏が政権を握り京都室町に幕府を開いた時代。明徳3年(1392)南北朝の合一から、天正1年(1573)第15代将軍義昭が織田信長に追われるまでの約180年間を指す。その後期すなわち明応の政変後を戦国時代とも称する。また、南北朝時代(1336〜1392)を室町時代前期に含める説もある。

“刳型(くりがた)や蓮弁(れんべん)”

刳型(くりがた)や蓮弁(れんべん)

“格狭間”

格狭間

須弥壇の基壇部の側面を装飾するために施された刳り物。

“唐草文様の透彫”

唐草文様の透彫

“唐破風の向拝”

唐破風の向拝

“檜皮葺”

檜皮葺

ヒノキの皮を剥いだ檜皮を竹釘で打ちつける工法で葺いた屋根。

“半繁垂木”

半繁垂木

通常より配置間隔をあけた垂木。一般にその間隔は垂木の下端と高さ(成)との和を基準とする。

室町時代
桁行七間 梁間四間 一重 入母屋造 檜皮葺