足利尊氏再興の社殿

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日本の住宅建築の源泉となった「書院造」の代表的遺構です。三井寺の僧で戦国武将でもあった山岡道阿弥景友によって慶長6年(1601)に建立されたと伝えます。
内部の間取りは、南列の一之間と二之間を連続させて公的なハレの儀礼空間とし、書院造に欠かせない押板、違棚、帳台構、付書院といった「座敷飾り」を設けています。
江戸幕府の大工棟梁・平内政信が慶長13年(1608)に著した木割書『匠明』に収録されている室町時代東山殿の「昔六間七間ノ主殿之図」に近似することから、中世に発生し近世初頭に完成する書院造の初期の形式を伝える極めて貴重な建築です。

“書院造”

平安時代の貴族社会で生まれた寝殿造が社会の変化と共に発展し、鎌倉時代以降になると実権を握った武士の生活スタイル、ことに接客儀礼の必要性に対応し、また中国から伝来された禅宗建築の影響もあり、徐々に武家社会の邸宅として独自の様式を備えてきたものである。

“山岡道阿弥景友”

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。近江瀬田城(大津市瀬田)の城主・山岡美作守景之の四男として生まれ、はじめ山岡家の祖・資広が開基した三井寺の光浄院の僧侶となり、暹慶と称した。のち足利義昭、織田信長に仕え、豊臣秀吉には御伽衆として近侍し道阿弥と号した。関ヶ原合戦後の慶長6年(1601)には徳川家康から九千石を与えられ、甲賀組を預かっている。慶長8年(1603)、常陸古渡藩(ひたちふっとはん)(茨城県稲敷市古渡)一万石の初代藩主となっている。1540~1603年。

“内部の間取り”

内部の間取り

“座敷飾り”

座敷飾り

“江戸幕府”

徳川家康が慶長8年(1603)江戸に開いた幕府。慶応3年(1867)徳川慶喜の大政奉還まで15代265年間。執政機関として大老(非常置)・老中・若年寄を設置、また、寺社・町・勘定の三奉行を置いて寺社・幕領の訴訟・行政に当たり、別に大目付・目付を置き、政務を監察させた。徳川幕府。

“平内政信”

江戸時代前期の大工棟梁。紀伊国那賀郡(和歌山県)の出身で、父・吉政とともに豊臣家、徳川家の建設工事に携わり、寺院建築の和様の技法を伝える四天王寺流の技術集団の長として、寛永9年(1632)に江戸幕府から作事方大棟梁に任命されている。建築技法の秘伝を伝える木割書『匠明』の著者としても知られている。1583~1645年。

“木割書『匠明』”

江戸幕府の大棟梁を勤めた平内政信が、慶長13年(1608)に建築技法に関する秘伝を記した著作。こうした建築書は「木割書」と呼ばれ、『匠明』は、その代表として知られている。

“室町時代”

足利氏が政権を握り京都室町に幕府を開いた時代。明徳3年(1392)南北朝の合一から、天正元年(1573)第15代将軍義昭が織田信長に追われるまでの約180年間を指す。その後期すなわち応仁の乱後を戦国時代とも称する。また、南北朝時代(1336〜1392)を室町時代前期に含める説もある。

“東山殿”

足利義政の別邸。今の銀閣寺。

“昔六間七間ノ主殿之図”

昔六間七間ノ主殿之図
桃山時代(慶長6年 1601)
正面七間 側面六間 一重 入母屋造 妻入 正面軒唐破風付 総柿葺